ぱらえこのみか

お金の食べログ

「死にたきゃ死ね」でいいんじゃないの?

自殺した中学生だか高校生の報道と、その件に関する著名人のコメントなどで色々議論が活発になってますが、結局当事者が若くても老いてても、「死にたきゃ死ね」のスタンスでいいんじゃないんですかね。

 

この広い宇宙での我々人間一人の存在なんて何の意義も価値も無いです。他の動植物の命を奪ってやっと生きながらえてるのは、人間誰しも同じ。その中で「絶対死ぬな」とか「生きろ」とか、どういう立場から他人に言えるのか、私には全くわからないです。今死んだ方が、牛も豚も鶏も少しばかり多く救われるかもしれないじゃん。

 

「生きてればいいことあるから」

死にたい人にとって辛いのは今であって、「今」を断ち切りたいから死にたいのに、「生きる=辛い時間」を強いることは極めて酷な気がします。「辛かったら死んで良いんだよ」じゃダメですか?

 

「死んだら負け」

ってのもよくわからないですよね。別に誰かと競ってるわけじゃないですし。「自分らしく生きる」ことが持て囃されてる時代、自分が自分の意思で自分らしく死んだって良いんじゃないですかね?

 

「他人に迷惑がかかる」

というのもよく言われますけど、死んだら関係無いですよね。電車に飛び込んで鉄道会社から莫大な損害請求が遺族に行ったとして、自分には関係無い。だって死んでるもん。別に数時間電車が遅延したぐらいで、数日後にはその「迷惑かけた人」の存在も我々は忘れますよ。そんな言葉は一切の抑止力にならないですよ。死にたい人が今後生きてずっと背負う苦しみを他のみんなのひと時の「また人身事故かよ。迷惑だな」の気持ちで受け止められるなんて、all for oneの精神じゃないですか。

 

「病気や事故で亡くなってしまって、生きたかった人だっているのに」

赤の他人の気持ちを背負って生きる義理なんて誰にも無いです。紛争地帯や貧困地域では、脳内お花畑日本人の想像を遥かに超える数の人が毎秒命を落としています。あなたは、そんな顔も知らない人たちの気持ちまで背負って今後生き続けると誓うんですか?

 

 

「死にたい」と思ってる人がいて、その人が死んだとします。その人はもうこの世には残りません。

 

「死にたい」と思ったけど、「死ねなかった人」がいます。その人は、「生きていればこんなに良いことがあった」と語ります。

 

死んでしまった人、死ねなかった人、それぞれの「死にたい」と思った理由は違いますし、「死ねなかった人」がどんなに「こんなに良いことがあるから絶対に死んではいけない」なんて言っても、結局その人は死ねなかった人であって、その言葉は死んだ人の声には成り得ません。死んだ人と、その寸前で思い止まった人、結局残るのは後者だけだから、「私は死ななかった!」みたいな成功体験的なのしか残らないんですよね。

 

・自殺者100人に聞いた「やっぱり死ななければ良かった」と思った理由ベスト10ランキング

なんて記事がググって出てくるならまだ良いんですが、もちろん出てこないですし、いわゆる「健常者」が恐れて忌避する死を選択する人の声や本当の気持ちをわかる人は誰もいないんです。地球上に。みんな死ぬのが怖くて必死に生にしがみついてますからね。

 

だから結局、死んじゃう人に最適な言葉や言動って、私はわからないと思うんです。共感してあげることが大事とか、なんとしてでも止めるとか、それでこの世界、いや日本だけでも良いので、自殺志願者を全員救えるなら義務教育にでもすべきですが、例えば必死で止めてその人が死んじゃったとして、多分止めた方にも言いようの無い虚無感・罪悪感が残ると思います。

 

「どうすればあの子死ななかったかな」って具合に。

 

だったら、「死にたきゃ死ねば」ぐらい他人にドライなスタンスでいた方が負う傷は浅く済みそうですし、生産的だと思いますけどね。

 

いざ目の前に死にたい人、死にそうな人がいて、「死にたきゃ死ね」なんて言える人はほとんどいないと思うけど、我々はその人が「生きること」に絶対的にマイナスの感情を持っていて、「死にたいと思ってる」という事実からは目を背けがちな気がするんですよ。

 

「死ぬぐらいの勇気があるなら」ってのもよく言われますけど、お腹が空いて死にそうなときにものすごいタイプの異性が現れたとしても、誰も見向きもしないと思います。欲してるのが「死」であって「今との決別」なんだから、「生きてれば良いことある、他の人に迷惑がかかる」という「今」の話をされてもその人の欲求には働きかけないので、何も響かないでしょう。

 

それで話は戻って、「死ぬな」と必死に止めたところでその人が死なないかどうかはわからない。だったら「死にたきゃ死ね」で良いと思うんです。で、どうしても死んで欲しく無いなら、「死にたきゃ死ね。でも俺は生きて欲しい。これはただの俺のワガママだ。だけどどうしても死んで欲しく無い。一生のお願いレベル」とでも言えば良いのでは無いでしょうか。

 

「生きてたら良いことある」とか言われるより、心に響きそうですし。心理学の研究でも死にたいと思ってる人に他人の言動が与える影響なんて研究されてないでしょうし、よく言われるhow to系の話で当てはめられることは無い訳で。だったら尚更死にたきゃ死ねで良いのでは?と。「死にたい」と思ってる人は「死ぬな」と言われる方が死んじゃう可能性だってあるでしょう。

 

 

まぁ色々書きましたが、正解なんて無いですし、誰も死なないのが理想ですし、死にたきゃ死ねって言った相手が死んだらそれはそれでめちゃくちゃ後悔すると思います。「そんなこと言うべきじゃなかったんじゃ無いか」って。

 

でも私は「死にたきゃ死ね」としか言えません。

 

 

 

死にたきゃ死ね。私は勝手に生きるし、勝手に自分が正解だと思ったことをします。だからあなたが死ぬのが正解だと思って勝手に死ぬのは、私の管轄外です。でもあなたが死んだら多分、私はめちゃくちゃ後悔するし、めちゃくちゃ泣くと思います。ショックで1ヶ月は立ち直れないかもしれない。いやもっとかも。

 

そしてあなたのことを思い出して何にも手がつかなくなることがこれから幾度となくあると思う。だから本当は必死であなたが死ぬのを止めたい。だけど、あなたを必死で止めたところで、あなたは死んでしまうかもしれない。そうなれば私は「どうして説得し切れなかったんだろう」と後悔すると思う。

 

でもこの後悔は死んだあなたには届かないし、あなたにとっては本当に今死ぬのが、これから生きるよりもベターな選択肢である可能性だってあるのだから、私はこれ以上あなたのことを止めることはできない。

 

だから私なりに考えて、あなたが「死にたい」と言うなら、私は「死にたきゃ死ね」と言います。

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